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東村 (岐阜県) : ミニ英和和英辞書
東村 (岐阜県)[ひがしむら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
岐阜 : [ぎふ]
 【名詞】 1. Gifu (pn) 
岐阜県 : [ぎふけん]
 (n) Gifu prefecture (Chuubu area)
: [けん]
 【名詞】 1. prefecture 

東村 (岐阜県) : ウィキペディア日本語版
東村 (岐阜県)[ひがしむら]

東村(ひがしむら)は、かつて岐阜県郡上郡に存在したである。1955年(昭和30年)に合併で金山町となった後、現在は下呂市の一部である。かつての金山町の北西部に位置する。飛騨川支流の馬瀬川上流の村である。
村名は、郡上郡東部に位置することに由来する。
== 歴史 ==
近代以前
* 縄文時代遺跡が、東沓部・祖師野・八坂・乙原・卯野原・卯野原新田・細越・弓掛地内から発見されており、人々の生活があったと考えられる。
* 855年 (斉衡2年) 郡上郡が武儀郡より分かれて成立する。郡上郡四の中に和良郷があり、この地域も含まれていたと考えられる〔金山町誌編纂委員会 『金山町誌』 下呂市、1975年、58-74頁〕。
* 1338年 (建武5年) 土岐国衡玄孫気良氏の領地と見え、気良庄下之保となる。
* 戦国時代 遠藤慶隆の領地となる。
* 1646年 (正保3年) 郡上藩遠藤常友が弟の大助常昭に2000石、金兵衛常紀に1000石を分地する。東では前者に、中原・相原・八坂・岩屋・広瀬・弓掛・沓部の各村が属し、後者には乙原・戸川・祖師野の各村が属することとなる〔金山町誌編纂委員会 『金山町誌』 下呂市、1975年、136頁〕。
* 1693年 (元禄6年) 郡上藩主井上正任の子、正岑が継いだ際、和良3000石を弟の正長に分地する。東では卯野原村が属することとなる。
* 1712年 (正徳2年) 井上正長が常陸国下妻藩転封し、卯野原村は幕府領となる。
* 宝暦年間に発生した郡上一揆に参加した住民はほとんどいなかったという。
近代以降
* 江戸時代末期は、『金山町誌』によると弓掛村、岩屋村、八坂村、相原村、中原村、広瀬村、東沓部村、西沓部村は、旗本遠藤新六郎2000石知行地であり、乙原村、祖師野村、戸川村は旗本遠藤鎮之助1000石知行地であった。卯之原村は天領として美濃郡代の支配下だった。〔金山町誌編纂委員会 『金山町誌』 下呂市、457頁〕
* 1869年(明治2年) 大政奉還により笠松県役所の支配下となる。
* 1871年(明治4年) 笠松県が岐阜県に改称。
* 1897年(明治30年)弓掛村卯野原村乙原村岩瀬村祖師野村戸部村東沓部村が合併し東村となる。
* 1955年(昭和30年)武儀郡金山町・菅田町益田郡下原村と合併し、益田郡金山町が発足。同日東村廃止。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東村 (岐阜県)」の詳細全文を読む




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